長野県の軽井沢の近く、御代田町というところで、8月11日から9月30日までの間、浅間国際フォトフェスティバルという写真のイベントが開かれている。

招待作家は、有名どころだと、森山大道、川内倫子、ホンマタカシ、鈴木理策などなど。

詳しい人なら、うつゆみこ、鷹野隆大、横田大輔、金村修、あたりも気になるだろうか。

僕は水谷吉法のファンなので、新作が見れるということで、名古屋からはるばる車で4時間ほどかけて出かけていった。


作品の多くは、最近の流れを受けてか、写真一枚パネルにして、さあご鑑賞ください、というものはほとんどなくなっている。

現代アートの文脈で、写真を撮るという行為や、写真の意義、そもそも写真とは何か?を考えさせるようなものが多かった。

「フォトフェスティバル」と謳っておきながら、写真一枚だけ、という作品は皆無で、立体作品や動画、インスタレーション、体験型など、写真を通じて僕らが生きている世の中について考えることが多かった。


スマホでアプリをダウンロードして作品に掲げると、画面の中の作品が変質するルーカス・ブレイクロックのAR作品や、360度のVRカメラを装着して鑑賞するチャーリー・エングマンの作品など。

こういうイベントじゃないと体験できない展示が多く、やはりアートは実物を体験してこそだなと強く感じた。

スマホで誰でも写真が撮れる。アプリを使って知識がなくても見栄えの良い写真が誰でも作れて、それをすぐにSNSで共有できる。

そんな時代に、写真家は何を撮ればいいのか。そういう問題意識を作家は強く持っているのだなと改めて感じた。


自分の話になってしまって恐縮だが、作品としての写真を撮らなくなってかなり時間が経った。

かつては、SNSに写真を上げることを日課にしていたくらいだが、それを何年か続けた後で、自分の写真がわからなくなってしまったのだ。

どこのSNSでもそうだけど、見てくれた人からのフィードバックがあったり、コンテストのようなものがあったりする。

最初は、誰かからコメントをもらえれば嬉しいし、評価をされれば自信にもなったのだけれど、それがある段階から逆転して、「コメントをもらうための写真」や「高く評価をされる写真」を狙うようになってしまった。

気が付いたら、写真を撮ることが苦痛になっていた。不思議なものだ。あれだけ毎日写真のことばかり考えていたのに。


軽井沢、という場所にはほとんど縁がなくて、これまでに数回しか行ったことがない。

その時にもちょっと高いホテルに泊まり、有名な観光地を回ったくらいで、そんなに印象がない場所だった。


フェスティバル会場周辺は、高い宿しかなかったので、ちょっと離れた佐久市というところにあるビジネスホテルに泊まった。

アート作品を見たからだろうか、何となく「ホテル近くの写真でも撮ってみようかな」という気分になったので、夕食がてらホテル周辺をぶらぶら散歩した。


佐久市は美しい自然に囲まれた、豊かな町だった。

その場所を撮る。

数年前と、あまり変わらない自分の写真、なのかな。

自分ではよくわからないけれど、素直に、見たものを撮れたような気がする。



ホテルに一泊後、近くにあるセゾン現代美術館に足を延ばした。

現代、といってもポロックが活躍したのはもう半世紀も前だし、そもそもデュシャンが泉を発表したのは1世紀も前の話だ。「現代美術」あるいはモダンの次のポストモダンの作品が出始めて、もうずいぶん経っている。

現在の展示はレイヤーズ・オブ・ネイチャーというタイトル。クリスチャン・アヴァやフランシス真悟の作品は部屋全部を使うような作品で、浅間国際フォトフェスティバルの体験型の作品群とも、奇妙なリンクをしていた。


セゾン現代美術館は少し山に入ったところにある。

近くに滝があり、小川も流れ、非常に閑静で美しい場所だった。

美術館内で作品を鑑賞した後で、庭園の彫刻を見て回る。

緑の中に屹立する作品群が、現実を少しだけずらす。

自分が見ているものが何なのか、自分が生きている場所がどこなのか、少しだけ問われたような気がした。



また写真を撮ってみようかなと、少し考えた。

どこに行けるのかは、まだわからないけれど。



使用機材
SIGMA SD Quattro H
50mm F1.4 DG Art

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