子供のころ、悪夢をよく見た。

何かに追われる夢だ。
暗闇で、道に迷って、何かを叫んで恐怖でよく目が覚めた。
狼に食べられる夢を見たときは、叫びながら起きた。寝小便もよくして、よく怒られた。
運動が苦手だった。駆け足はクラスで一番遅く、運動会が大嫌いだった。
勉強もできず、漢字も書けず、自分は何もできないとずっと思っていた。

中学校に上がったころから、悪夢は見なくなった。
どうも僕は勉強が得意らしかった。ものすごく頑張ったという記憶はないけれど、いつもテストの点は良かった。

生まれつき、足が速い子がいるように、生まれつき勉強が得意な子がいる。

そんなものだと思っていた。

高校は進学校に入った。入ってわかったのは、周りには「勉強が得意な子」しかいないということ。
そして、僕は努力をあまりしてこなかったので、「頑張って勉強する」ことが身についていなかった。
成績は最下位になった。僕の自尊心は下がった。けれども、どこかで安心している自分がいた。

悪夢を見て、泣きながら起きていた過去の自分を思い出す。
自分は価値のある人間ではないのだと、ずっと思い込んでいた過去を思い出す。
そこの場所に戻れたことで、僕は安心した。安心して、成績を下げて、自尊心を下げた。

僕には一つ上の兄がいる。
兄が生まれるまでに母は何度か流産したらしく、待望の長男だった。
名のある寺の住職に頼んで名前を付けてもらい、庭には誕生を祝う木を植えた。
兄は祝福されて生まれてきた。

僕は「作る予定のなかった子」であるらしい。
物心ついた時から、父は繰り返し何度もそう言った。
僕の名前は父の字と兄の字から一文字ずつ合わせて付けられた。読み方は祖父が勝手に決めた。漢字の組み合わせからは普通は読めない名前を与えられた。
小学校の時、新しい学年になるのが嫌だった。一人ずつ生徒の名前を読んでいくのだが、僕の名前を必ず間違うからだ。
間違うのも無理はない。そうは読めないのだから。けれども、間違えられるたびに僕はクラスの皆から笑われた。
自分の名前はずっと嫌いだった。

兄からはよく殴られた。おもちゃは兄に優先的に与えられた。テレビゲームは兄がプレーするのをただじっと見ていた。
着る服は全ておさがりで、その全てに兄の名前が書いてあった。中学に入って兄の身長を追い越すまで、それは続いた。

兄のスペアとして、僕は育てられた。
それは、虐待に近い何かであったのかもしれない。

そう気づいたのは、もうずいぶんいい年齢になってからだ。
勉強がうまく行かず、仕事がうまく行かず、家庭がうまく行かなくなって、なぜなんだろうかとよく考えるようになった。

たくさん本を読んでいくうちに、「愛着障害」や「自己肯定感」というキーワードが目に付くようになった。

そうか、僕は誕生を祝福されず、愛されずに育ったのか。
そうか、僕は孤独で怖かったのか。
だから悪夢を見て、寝小便を垂れて、人から評価されると恐怖して、人から愛されると逃げて、そうやって生きてきたのか。

そうか、知らなかった。

そういう目で周りを見るようになった。
そうすると、不思議なことに、僕と同じように自尊心を奪い取られて生きている人たちが大勢いることに気づいた。
多くの人が何らかの心の傷を抱え、それがじくじくと痛み出し、それがゆえにうまく生きられていない、そんな事例がたくさんあるように思えた。

虐待は連鎖する。

傷つけられた子供は、そのやり方しか知らないから、同じようにその子供を傷つける。
傷つけられた子供は、そのやり方しか知らないから、同じように周りの人を傷つける。
傷つけられた子供は、強くなるために努力をする。復讐をするために努力をする。そして、強くなって、人を傷つける。

いつからこの連鎖は始まったのだろうか。
いったいいつになったらこの連鎖は終わるのだろうか。

歴史をひも解くと、そこには傷つけあう人類の姿しか見当たらない。
キリストは磔にされ、十字軍はエルサレムに向かう。
ナポレオンはヨーロッパを席巻し、ヒトラーは大ゲルマン帝国を構想する。
黒船によって開国させられた日本は、大陸に侵略する。

誰が始めたのだろうか。いつから始まったのだろうか。
それとも、人類の歴史とともに、それは続いてきたのだろうか。

人は人を征服しても良い。
そういう価値観が人類の歴史とともにある。
身体的に人を征服することは、ここ最近になってようやく根絶に向かいつつあるようだ。
しかし、精神的に人を征服することは、まだ許容されているし、一部ではそれが推奨されているままだ。

親は子供を支配しても良い。
教師は生徒を支配しても良い。
上司は部下を支配しても良い。
男は女を支配しても良い。

そんなことは、ないだろう。
人は誰からも、支配など、されてはならないはずだ。

声を上げる。しかし、それほど届かないだろう。しかし、絶望せずに声を上げる。何も変わらなくても。声を上げる。

こんな世界を、僕は赦そうと思う。

親は、駆け足が遅い僕を許さなかった。
兄は、反抗する僕を許さなかった。

それでも、だからこそ、僕は世界を赦そうと思う。

テレビを切り、ネットから離れる。
全ての人に祝福を。全ての人に愛を。

そして、そんな写真が撮れたら良いなと、少しだけ願う。


SIGMA sd Quattro H
50mm F1.4 DG HSM Art

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