大きく時代が変わってきている。

コロナが我々に突き付けたのは何だったのだろうか、それを最近よく考える。

ある特定の条件が整うと感染のリスクが爆発的に上がる。
「換気の悪い、狭い空間に集まって、言葉を交わし合う」こと。
この条件を満たすと集団感染が起きる。

この条件とはしかし、人類の歴史で考えれば、実はつい最近できあがったものではないだろうか。
そもそも人は、そんな環境では生きていなかったはずなのだ。
そんなことを考える。
人とは何だろうか。

もともとは、アフリカの一地域で発生した哺乳類だ。
それが長い年月をかけて、世界各地へ広がっていった。
人類の歴史の大部分は、実はこの放浪の時期が大部分を占める。
定住をし始めたのは、つい最近だ。
農業が人類の定住を可能にした。
そして、そこから文明が生まれ、階級が生まれ、そして、疫病も生まれた。

狩猟採取民だった頃の人類は、おそらく疫病で大きなダメージを負うことはなかった。
「狩猟採取」という生活パターンそのものが、広大な土地を移動し続けるという行動を要求する。
そして、人類の体はそれに適応したものになっている。
我々が旅をするのも、新しいものを常に求めるのも、争いが好きなのも、世界を流浪する狩猟採取民だった先祖の特性を引き継いでいるからだ。
そんな我々が、定住をして作り上げたのが人間の社会だ。
人類が争いを好まなければ、おそらく文明は発達しなかった。
しかし、本質的に人類は争いを好む。
他部族・他文明からの侵略から自分たちを守るために、社会を発展させていかなければならなかった。
文明の歴史は、戦争の歴史でもある。
強い国家は弱い国家を侵略する。
強い資本を、資産を、商品を、人材を、多く抱えた集団は、他に抜きんでる。
そうやって強くなるために、他よりも抜きんでるために、人類は「効率化」に追い立てられることになった。

人と人との距離は近く
建物は可能な限り小さく
その中で最大限の情報の伝達を行う

学校の教室や、会社のオフィスなどは、そういう効率化の行き着いた先だ。
資本主義がそれをさらに加速させた。
人々は経済のために、効率のために生きることになった。満員電車に乗って。
けれども、そうやって社会が発展していっても、我々人類の体は変わっていない。
アフリカから出てきた、旅をしながら生活をする生き物だ。
オフィスで一日座り続けられるようにできてはいない。
教室で一日講義を聞き続けられるようにはできていない。
そういう生活ばかりしていると体が壊れてくる。
なので、本来の姿を取り戻そうとする。
あるいは、別の何かを手に入れようとする。

体は動かさなければならない。
けれども、今の社会に体を動かす場所はあまりないのだ。
なので、効率化の最終地点である、ジムに行く。
そこで効率的に体を鍛える。そうやって、自分たちの動物性を取り戻す。

あるいは多くの人で集まり、音楽とともに一体感を感じる。
おそらく、狩猟採取時代には、獲物を捕った後、火を囲みながら皆で歌ったり踊ったりしたのだろう。
今、ライブハウスが、コンサート会場が、そういうものを提供している。

効率的に、閉鎖された空間で、人々は移動し、意思疎通し、働き、開放し、発散している。
効率的に。
その全てが、コロナが広がる場所なのだ。

人類はアフリカから出てきて何を手に入れたのだろうか。
今の世の中が提供しているものは何なのだろうか。
僕らは今、どのような世の中に生きているのだろうか。
あるいは、生かされているのだろうか。
そんなことを考える。

人類が定住を始め、文明が生まれ、それと同時に競争が生まれ、多くの人が生まれ、多くの人が死んでいった。
常に競争にさらされ、何かに駆り立てられ、そして資本によって提供される快楽や熱狂を消費していく。
それを消費するために、また働く。そして金を稼いで快楽と交換する。
その速度はどんどん速くなっている。
熱狂している。熱狂して、熱狂して、けれども、それは何なのだろう。

そういう熱狂する場所は、感染が起こる場所になってしまった。
一人で公園を歩く。
誰とも言葉を交わさない。
遥か昔、アフリカにいた人類も、おそらく言葉を交わさず一人で歩いて獲物を探していたのではないか。
そして、それに長けていたのではないか。
それは、楽しいことだったのではないか。
そうでなければ、アフリカから出て、南アメリカや太平洋の島々に人類が到達するはずがないのだ。

一人で歩いて、何かを見つけることは、この上ない至上の喜びではなかったか。
最高の快楽ではなかったか。
今僕らが、金を出して手に入れているもの以上の何かを、彼らは手にしていたのではないか。
そんなことを考える。

これから先がどうなるのかはわからない。
けれども、今までのような効率と熱狂の時代は、過去のものになっていくのかもしれない。
誰もが同じものを体験する、そういうことはもう起こらないのかもしれない。
誰もが同じものに熱狂する、そういうことはもう起こらないのかもしれない。

一人で公園を歩く。
気温が変わっていることに気付く。
時間とともに、光の加減も変わる。
空の色も変わり、地上にあるものの色も変わり始める。
それを感じる。
ただ、感じる。
そして歩く。
一人で歩く。
それだけで良い。
それだけで楽しい。

ひょっとしたら、そんな時代がやってくるのかもしれない。




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