3分間クロッキー クロッキー帳 木炭


2年前から通信制の美大に通って写真を習っている。

通おうと思ったきっかけは、いろいろあるのだけれど、自分の写真に限界を感じたのが一つ。

もう一つは、単純に僕は大学生という立場が好きなのだ。

僕は高校を出て就職し、そのあと働きながら通信制の大学に通い、大卒の資格を取った人間だ。

高校時代は勉強が大嫌いだったけれど、通信制大学の勉強は楽しかった。周りも僕と同じ高卒の社会人で、いろんな事情があって大学に行けなかった人が多かった。

みんな真面目でモチベーションが高く、だから教授も熱心に教えてくれた。その楽しかった記憶があったから、写真がうまく行かなくなった後、「美大にでも通うか」とけっこうあっさり決めた。

キャンパス内ではそこかしこで、学生が作品を作っている


僕は写真コースに在籍しているので、普段は写真に関係する科目しか取っていない。

ただ、課題がどうにもうまく進まないので、気分転換もかねて、デッサンの授業を取ってみることにした。

実は写真コースでも必須科目にデッサンがある。最初は「写真なのになぜ?」と思って、必須科目にする理由がわからなかった。


授業に行く前に、教科書を読んでいたら、面白い記述に出会った。

僕らは、普段、モノを見るときは「名称」で見ている。

「イヌ」なら「イヌ」、「電柱」なら「電柱」、山でも川でも鳥でも花でも、それぞれを見たとき、その見た瞬間に、モノの「名称」が頭に浮かぶ。

でも、それは本当にそれを「見た」ことにはならない。なぜなら、「名称」が出てきた瞬間、それは過去の記憶やイメージ、カテゴリー、類型、そんなものの影響を受けるからだ。

同じモノでも、それぞれに個性や特徴がある。自然にあるものならばなおさらだ。しかし、「名称」にとらわれていると、そのそれ「自体」を見ることはできない。

そのもの「自体」を見るためにはどうするのか。よく「見る」練習をするしかない。それに一番効果的なのが、「デッサン」なのだ。


という内容だった。

5円玉に付けた紐で垂線を引き、位置関係を正確に描く補助とする



ネットの写真をほとんど見なくなった代わりに、作家の写真集をたくさん買うようになった。

写真集は本を買うと思えば高いけど、レンズを買うと思えば安い。

写真集を見れば見るほど写真は変質していく。おそらく、良い方向に。

「見る」という行為は、無意識で行ってしまえるだけに、怖いのだ。

パッと見て、分かった気になってしまう。すぐに良しあしを判断したり、レッテルを貼ってしまえる。

けれども、よく見ると、ほんの小さな何か、ほんの少しの何かが、そこにあったりする。

それを見つけて、取り出すことで、新しい考えや新しい自分に出会える。そんな可能性だってある。

アートの社会的役割、なんて大きなことを言うつもりはないけれど、僕らが日常生活で見過ごしてしまう「何か」を、写真を撮ったり、あるいはデッサンしたりすることで、再発見できるのだろうと、僕は思う。


3分間クロッキー クロッキー帳 木炭



人間はおおよそ6~8頭身。7頭身が多い。へそは半分より上。足の付け根は半分より下。

頭は意外に大きい。足のサイズと頭のサイズは同じ。

人間の目は顔に、そして目に良く反応する。しかし実際のサイズはイメージとは違うので、正確に長さを図らないと、描いてもバランスが狂う。




絵など描いたことがない僕のような人間には、何もかもが新鮮だった。

なるほど、人体。なるほど。

今回はヌードのデッサンだった。今までも「美大と言えばヌードのデッサン」みたいなイメージが自分にあって、それがなぜかわからなかった。

やってみてわかった。服着てると、体描けないのだ。

服につられて、バランスが狂うのだ。

逆に裸が描けると、そこに服を乗せていくだけだから、描けるのだ。






二日間、朝から夕方まで合計で80枚くらいデッサンをした。最後は腕が痛くなった。

人間は、美しいな、と思った。

モデルが、というのではなく、単純に人間は、肉体として、生成物として、美しいバランスをそれぞれが持っている、美しい生き物なのだなと思った。




帰りの電車で、向かいに座っている人の骨格が見えた気がした。





使用機材
SONY α7II
SIGMA 70mm EX DG Macro

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