仕事をする場所が職場から自分の部屋になって一カ月ほど経った。

SNSを利用して行う会議にもだいぶ慣れてきて、それに伴う社会や生活の変化を受け入れられるようになってきた。

あの満員電車は何だったのだろう。
あの長い会議は何だったのだろう。
あの書類は、稟議は、根回しは、何だったのだろう。
あの空気は、皆に合わせなければいけない圧迫感は

あの「ふり」は、何だったのだろう。

今の流行が治まって、社会生活が元通りになるとして、けれども、人々の働き方はすっかり元に戻るのだろうか?
そんなことを考える。

ある哲学者は「人は一度自由を手にしたら、それがない生活には耐えられなくなる」と言ったそうだ。
スマホを手にして、もはや電話には戻れない。

空間を同じくしないでも仕事ができるのなら、その方が効率的に進む部分もあるのなら
おそらくある一定数の人は、これからも離れて仕事をすることを選ぶだろう。

外見が人のイメージを決める時代があった。
あるいは今だってそうなのかもしれない。
服や髪型に何を選ぶのかが、その人の社会的階層や、知性や、嗜好をそのまま表していた。

職場がリモートになり、人が人と会うことがウェブカメラを通じて行われることが主流になると、その画像がその人の価値を決めてしまうようになる。

例えばどのような時計を身に着けていたとしても、それは画面には映らない。
例えばどのような生地のスーツを身に着けていたとしても、それは画面からはわからない。
どのようなメイクをしても、どのような髪のセットも
画面からニュアンスは伝わらない。


ノートパソコンやウェブカメラの、小さなレンズとセンサーでは、人の表情の細かさや、空気感を伝えきることはできない。

アプリを入れて顔を変える、バーチャル背景を入れて空気を変える。

それも方法の一つだが、いつか人は飽きるだろう。

人は、人に飢えているからだ。


SIGMA fp + 135mm F1.8 DG HSM Art

SIGMA fpというカメラは、フルサイズのミラーレスカメラで
USBで接続するだけで、そのままウェブカメラになる。

ミラーレスなので、レンズはどのようにも変えられる。
135mmは古典的なポートレートレンズ、つまり、人を撮るために最適な焦点距離を持つレンズだ。
それをそのまま、ウェブカメラとして使える。
それをそのまま、自分のイメージとして使える。

部屋に三脚を立てて、少しカメラを離し、瞳AFを設定すれば、背景を溶かして自分の表情だけを画面に浮き立たせることができる。



SIGMA fp + Super Takumar 55mm F1.8
あるいはクラシックレンズ。
フィルム時代のレンズは、センサーからの反射を気にする必要がなかったから、フレアやゴーストが盛大に出る。
それを逆手にとって、ノスタルジックな表情を画面に与えることができる。
強い西日が差し込む部屋で、このレンズに当たる光から出るフレアは、しかし限りなく自然だ。

自然だ。当然。

自然に写るよう、カメラ製作者は、レンズ製作者は、気の遠くなるような長い時間をかけて、カメラを、レンズを、その性能を磨いてきたのだ。
それをそのまま、自分のイメージとして使うことができる。


オンラインでの対面のプレゼンスは、これからも上がっていくだろう。
それとともに、人を判断する基準の一つに、ウェブカメラが作るイメージが加わってくるだろう。
静止画の場合、デジタルで加工することで、人は外見を整えることができた。
しかし、リアルタイムのやり取りでは、おそらく、デジタルで加工した自己イメージは相性が悪い。
今の技術では、やはりどうしても不自然になる。

しかし、そもそも、人はそこにはいないのだから、せめて画面の中だけでも、その人そのものを感じ取ろうとするのではないか。

写真家たちは人をより美しく見せようと切磋琢磨してきた。
レンズ製作者はそれを可能にする機材を長い年月をかけて作ってきた。
おそらくそれは、ウェブカメラとなっても、失われることのない技術だろう。

あるいはそれは、むしろこのような時代だからこそ、輝くのかもしれない。

自由を手にした人が、それを失うことを拒絶するように
一度美しい映像を手にした人は、それをもはや手放さないだろう。

ウェブカメラは、新時代の服装となるのか。

それはわからない。けれども、時代は、間違いなく変わっていくだろう。














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